警察の違法捜査を考える

その3 警察相手の国賠訴訟の実態

 
1 痴漢事件を送致した本当の理由

前回も触れたが、原告原田さんが、新宿署の副署長と生活安全課長から、直接、事件当夜の信助君の取扱い状況について説明を受けたのは、平成22年1月11日、既に信助君が亡くなってから1月も経過していた。
その18日後の平成22年1月29日、新宿署は事件発生以来1か月と19日で、信助君を被疑者とする都条例違反事件(痴漢行為)を東京地検へ送致した。
1月11日、副署長らは「痴漢をやったかやっていないかは別として、痴漢をやったと特定する材料がなかった。」などと、信助君を痴漢の被疑者として立件することに否定的な説明をしている。
しかし、この副署長らの説明に母親の原田尚美さんは納得しなかった。
それは母親として、信助君が痴漢などという破廉恥な行為をするような息子ではないと信じていただけではなく、信助君が遺したICレコーダーに新宿署の取調べに対して、信助君がはっきりと痴漢行為を否定し、逆に暴行の被害を受けたと訴えている様子が残されていたからだ。
この日、原告原田さんは、副署長らに信助君が110番通報した内容を教えて欲しい、警察官が撮った信助君の写真を見せて欲しいなどと要請するとともに、信助君に代って暴行の被害届を出すことを申し出た。
副署長らは、信助君が遺したICレコダーの提出を執拗に求めたが、原告原田さんは結局応じなかった。
副署長らの説明に納得できなかった原告原田さんは、さっそく、代理人になってくれる弁護士探しにとりかかる。

警視庁は、信助君が新宿署を出た直後に自殺しているところから、信助君の取扱いをめぐり、いずれ国賠訴訟に発展するのではないかとの危惧は持っていたはずだ。
そうした判断もあって、新宿署は原告原田さんに対して、暗にそうした行動に出ないように説得を試みたつもりだろうが、失敗に終わった。
被告警視庁の準備書面によると、信助君が死亡後、新宿署長は「亡信助及び被害女性らの行動について、事件性の有無を含めて全容解明を図る必要があると判断し、刑事課M警部を捜査主任官とする捜査本部を設置して、裏付け捜査を実施した。」としている。
 通常は、痴漢事件捜査に捜査本部を設置して捜査をすることなどはあり得ない。
「捜査本部」とはなっているが、ここでいう「捜査本部」とは、犯罪捜査規範(国家公安委員会規則)にある、重要犯罪等の発生に際し、特に、捜査を統一的かつ強力に推進する必要があると認められるとき設置される「捜査本部」とは違うものだ。
この捜査本部は訟務対策、つまり、訴訟を提起されたときの対策と考えるべきだ。
 
平成22年5月20日の産経新聞に「晴らせぬままの『容疑』」というタイトルの記事が載った。その記事の一部を紹介する。そこには、新宿署の本音が表れている。
なぜ、(新宿署は、原告原田さんに)「(信助さんの)容疑は晴れた」との説明をしたのか。同署は「当時はカメラを確認する前だった」と釈明し、こう話す。「本来は立件するような事案ではなかった。母親の『暴行』との訴えや、相手の女性の気持ちの考慮した結果、白黒をつけるべき話になった。」
 この記事が事実だとすると問題がある。一つは、新宿署の説明は事実と異なることだ。新宿署の副署長らが原告原田さんに説明した際、副署長は「(ビデオカメラ確認は)やっています。)」とはっきりと答え、防犯カメラの解析結果に基づいて「信助君が痴漢をやったと特定する材料がなかった。」などと説明している。
 もう一つは、「本来は立件するような事案ではなかった」としていることだ。
犯罪が成立するか否かの判断は、捜査の結果明らかになった証拠によって判断するべきであって、関係者の行動や思惑によって左右されるべきことではない。
「本来立件するような事案ではなかった」のなら、立件するべきではなかったのだ。
この記事では、信助君に対する暴行事件の捜査については全く触れられていない。
原告原田さんの言動から国賠訴訟提起を予想した警視庁は、対抗上、信助君を痴漢被疑者として無理やり立件、つまり、シロクロつけざるを得なかったというのが本当だろう。
これは「母親さえおとなしくしていれば、信助君は痴漢の犯人にならずに済んだ。」ということになる。
つまり、警察に反抗すると不利な扱いを受けるということになる。
 警察に反抗したのは、原告の原田さんだけではなかった。
信助録音を聞いてみるとよくわかる。
信助君の新宿署の警察官に対する態度は、警察官からみれば極めて反抗的だ。
信助君は任意同行に応じながらも、警察官の録音中止要請を無視、外部との連絡(電話)、金銭補償等の要求などを繰り返し、取調べに対しては痴漢容疑を頑として否認、逆に暴行を受けたと主張、ときとして、警察官の言動に反撃している。
警察官に対して、当然の権利を主張する人物は、警察にとって好ましくない人物、反省のない人物、許し難い人物と評価する。それが警察だ。
  
3 警察相手の国賠訴訟の実態
 
いったん警察に犯罪者に仕立て上げられた人々は、世間の冷たい目に晒され、名誉を失い、職を失い、友人を失い、ときには、肉親からも見放される。
住むところからも追われる。
たとえ、それが冤罪だと分かっても失われたものを取り戻すことはできない。
信助君のように死を選ぶ者もいる。
再審で無罪を勝ち取っても、国賠訴訟を起こそうにもその費用もない。
相談する弁護士もいない。泣寝入りするだけだ。
ようやく奇特な弁護士を探して提訴し、長い時間をかけて争っても、勝つ保証はない。
マスコミが報道する冤罪の国賠訴訟は、冤罪のごく一部に過ぎない。
国賠訴訟を断念した冤罪被害者は、数多くいるはずだ。
冤罪国賠だけではない。違法な職務質問、けん銃の発砲やパトカーの追跡等の過剰な実力の行使、暴力的な取調べや誤認逮捕等の違法捜査等、警察官の違法な行為によって損害を受けたときも同じだ。
警察を相手に、国賠訴訟を提起するのは容易ではない。
一方、被告の警察は訴訟に対応する専門の部署を作り、そこに多くの優秀だとされる警察官を配置し、専門に訴訟対策に当たる。
税金で顧問弁護士を雇う。万が一、敗訴して賠償金は税金で賄うことになる。
違法行為を行った警察官が賠償を支払うこともない。
警察は、国賠訴訟で失うものは何一つない。
(1) 増えている警察相手の国賠訴訟
国家賠償法という法律の第1条に「国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」とある。
警察官も公権力の行使に当たる公務員だから、警察官の違法な行為によって損害を受けた国民は、民事訴訟法の手続きに従って、国又は都道府県に対して、謝罪や賠償を求める訴訟を提起することができる。
これは、憲法第17条に基づく国民の権利である。
  最近は、警察を相手にした国賠訴訟が増える傾向にあるという。
警察庁のデータによると、平成13年中に発生した国賠事件は130件、平成22年中は188件になっている。
この10年間で45%も増えている。こうした傾向を警察は、どう見ているのか。
北海道警察の監察官室発行の「訟務事務資料」によると「司法制度改革に伴って弁護士数が増加したことに伴い、今後、弁護士が新たな活動分野を模索し又は北海道警察の弱体化を図るため、北海道警察の様々な処分に着目のうえ訴訟を提起してくることが十分予想される。」としている。
  弁護士云々は論外だが、国民の安全を守ることを使命とする警察が、誤りを指摘されたとき率直にその誤りを認め、謝罪するのではなく、国賠提訴を「組織の弱体化を図るための攻撃」と捉えていることがよくわかる。
こうした発想は、北海道警察だけのものではない。
  最近は、国民の権利意識の高まりもあって、警察官の職務執行、例えば、パトカー等の追跡、逮捕・取調べ等の犯罪捜査、交通取締り、交通事故の捜査等に関して、国民から様々な抗議・苦情等が多く寄せられる。
その中には、将来、国賠訴訟が提起されることが予想される事案もある。
そのため、各都道府県警察では、警察署長に対して、将来、争訟事件に発展することが予想される「ぐ訟事案」を認知したときには、争訟事件を担当する監察課(室)、警視庁の場合は訟務課へ直ちに報告するよう義務付けている。
その目的は、対警察攻撃の訴訟に備えて、警察官の職務執行の正当性を主張し組織を防衛するためである。
そのため監察課等では、事案の実態を正確に把握して、組織のダメージを最小限に抑えるため、マスコミ対策と訴訟対策に当たることになる。
(2)原告の勝訴率はわずか6%
警察庁の「訴訟事件の審級別状況調」(平成13年から平成22年)によると、10年間の一審、二審、三審の被告の警察勝訴は2,953件、警察敗訴200件で、圧倒的に被告警察側が勝訴している。
原告の勝率は、わずか6%に過ぎない。
元大阪高裁判事で弁護士の生田暉雄氏は、その著書「裁判が日本を変える」で我が国の行政訴訟について様々な問題を指摘している。
その要旨を抜粋して紹介する。
○ 権力の違法な行使をチエックする行政事件数を諸外国と比較すると、人口10万人あたりで、日本は1.7件、アメリカ22件、イギリス8件、ドイツ637件、フランス200件、となっていて、我が国は極端に少ない。
○ その理由は、相手方の手持ち証拠の開示義務(ディスクロージャー)の制度がないからだ。だから日本では、権力相手に訴訟をやっても勝てない。
○ 法務省と裁判所間の人事交流で、裁判官が法務省に出向し行政事件の国側担当者である「訟務検事」をやり、再び裁判官に戻り行政事件の裁判官をやる「判検交流」が行われている。裁判官が行政庁に有利な裁判をするのは明らかだ。
○ 我が国の行政訴訟の原告側の勝訴率が異常に低いのは、政府や最高裁等の上の方ばかりを気にする裁判官(ヒラメ裁判官)が判決文を書くからだ。
(3)開示されない証拠文書等
  警察は、基本的に情報開示には消極的である。
当事者が質問状等で照会してもほとんど無視するのが通例だ。
情報公開法や条例に基づいて文書の開示請求しても、捜査上の秘密等、様々な理屈を
つけて開示しない。
開示しても、肝心な部分は真っ黒くマスキングされている。
国賠訴訟でも同じだ。
被告警察側は、まずは、文書の存在を否定する、原告側に追及されるとマスキングした文書を提出するなど、最初からすんなりと文書を提出することはない。
裁判所 が、一方の当事者の申立てに基づき、文書の所持者に対し、所持する文書 の提出を求める「文書送付嘱託」を求めてもなかなか応じようとしない。
裁判所 が、一方の当事者の申立てに基づき、相手方又は第三者 に対し、所持する文書 の提出を求める「文書提出命令」という手続きもあるが、刑事訴訟に関する書類等は提出を拒むことができるし、「文書提出命令」を出すかどうかは裁判所の裁量なので、必要ないと裁判所が判断すれば却下される。

原告原田さんも、平成22年3月、警視庁情報公開センターを訪れ、情報公開条例に基
づき、信助君が110番通報した記録の開示を請求したが、「本人(信助君)以外は請求できないと」と開示請求書の提出を拒否された。
 そこで、原告原田さんは、国賠訴訟を提起する前の平成22年8月に警視総監、新宿警察署長に対して、捜査の内容からメディアに対する警察のコメントの変遷まで9項目にわたる「質問状」を送ったが、9月10日になって、新宿警察署長から回答があった。
質問事項(1)~(7)については「個別の事件の捜査に関する事項につき、回答を差し控えさせていただきます。」
メディア対応に関する2項目の質問については、「事実なし、分かりかねる。」といった回答だった。つまり一切回答はなかった。
平成23年3月には、警視庁情報公開センターに対して、信助君が亡くなる直前の行動を知るため「牛込署が保有している東京駅から大手町駅までの地下通路内のビデオ映像」の情報開示請求をしたが、4月4日に「申出の電磁的記録媒体は押収物であり、公開条例及び個人情報条例に基づく開示請求の対象から除外されている。」と請求は拒否された。
  また、原告原田さんが当初代理人を依頼した弁護士が、平成22年3月以降3回にわた
り、弁護士法第23条の2に基づき、警視庁通信司令本部宛に信助君の110番通報受信内
容等について照会したが、警視庁からは4月19日付で「平成21年12月10日午後11時
27分に、新宿駅で、けんか・口論となり、駅員に囲まれている旨の110番通報がありま
した。その余は、貴意に添いかねます。」との回答があった。
回答内容が不十分と考えた原告原田さんの申し立てにより、平成22年12月2日、東京地裁裁判官が、本件(信助君に対する暴行事件)の証拠保全のため、警視庁通信指令本部を訪れ「亡原田信助ないし第三者により、相手方警視庁通信指令本部宛に対してなされた110番通報に関して作成された下記の検証物件」を提示するように求めた。
① 相手方(警視庁)作成にかかる平成21年12月10日午後10時45分から平成21年12月11日午前0時25分までの間に録音された亡原田信助(通報に使用した携帯電話番号090-3234-8196)と相手方担当者との通話内容を録音した音声記録
② 相手方作成にかかる平成21年12月10日午後10時45分から平成21年 12 月11日午前0時25分までの間に録音された、第三者による東日本旅客鉄道株式会社新宿駅及びその周辺からの110番通報における第三者と相手方担当者との通話内容を録音した音声記録
③ 相手方作成にかかる平成21年12月10日から平成21年12月11日にかけての本件
事件への相手方の対応状況の記載のある資料(110番通報受理簿、事案取扱書、勤務日
誌等)
④ その他相手方作成にかかる本件事件に関する一切の資料及び電磁的記録
 
これに対して警視庁側は、通信指令本部への立入りを拒否したため検証は延期された。
12月27日に行われた2回の検証でも、警視庁側は通信指令本部への立入りを拒否した。
警視庁側が提示したのは、「110番情報メモ」2枚等の写しだったところから、裁判官が原本を提示するよう求めたがこれも拒否し、そのほかの記録も提示を拒否した。
さらに、裁判官は証拠保全決定書に記載されている物件の提示を命じたが、警視庁側は重ねて拒否した。
このため裁判官による検証はできなかった。
しかも、このとき、警視庁が提出した「110番情報メモ」の[処理てん末状況]の三分の一は、黒くマスキングされていた。
このように警察相手の国賠訴訟では、警察の違法行為を証明する文書はほとんど開示されることはない。

警察と同じように、検察庁も保管している捜査記録の開示には消極的だ。
新宿署が東京地検に送致した信助君を被疑者とする都迷惑防止条例(痴漢行為)は、東京地検は、当然ことながら不起訴とした。
原告原田さんは、国賠訴訟を提起する前に、事件内容を知るため東京地検に記録の閲覧を申し入れたが非開示との連絡を受けている。
さらに、国賠訴訟を提起後の平成23年2月に、新宿駅の防犯カメラの映像、新宿署で撮影した信助君の写真を閲覧できないかと打診している。
これに対しても、東京地検は応じられないとの回答あった。
これは不起訴事件の記録については、これを開示すると、関係者の名誉・プライバシー等を侵害するおそれや捜査・公判に支障を生ずるおそれがあるため、刑事訴訟法第47条により、原則として、これを公にしないこととされているためだろう。 
このために、警察官が誤認逮捕したり、暴力的な取調べで被疑者を自供させた事件等で裁判が維持できない事件については、検察官は被疑者を処分保留で釈放し、不起訴処分にする。
そして、こうした事件の記録は、一切公開されないから違法捜査はヤミに葬られる。
新宿署が送致した信助君を被疑者とする都迷惑条例違反(痴漢行為)は、信助君が亡くなっているので事件を送致しても起訴されることはない。
事件の記録が公開されることはない。
新宿署が信助君の事件を送致した理由の一つには、こうした点もあるかもしれない。

ついでだが、JR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)と同新宿駅の対応についても触れておく。
原告原田さんは、平成22年8月にJR東日本社長と新宿駅駅長に対して「質問状」を送っている。
質問項目を要約すると以下の4項目だった。
① JRが特定した事件(痴漢、暴行)の現場はどこか。事件の目撃者は確保したか。
② 事件の一部始終を撮影した防犯カメラの映像はあるのか。
③ 映像があるなら、それを閲覧できるか。
④ 貴社のメディア対応に一貫性がないのは、いかなる理由か。
   これに対して、JR東日本東京支社総務部長から以下のような回答(要約)があった。
1     社員が、複数の客から仮設階段において客同志の喧嘩が発生しているとの通報で
現場に向かったところ、男性2名が口論していた。客から警察官を呼ぶよう要請さ
れたので110番通報した。社員は痴漢行為の事実及び現場を確認していない。痴漢
行為の目撃者は確認していない。暴行行為の目撃者の連絡先等は確認していない。
  ②、③ 一度は「消去した」旨回答したが、警察当局に提供した防犯カメラの映像は返
却され所持している。しかし、閲覧等の要望は断っている(注:「防犯らカメラの
映像」は、平成22年12月、「VHSテープ」を証拠保全手続きで提出)。
  ④については回答なし。 
 (4)警察官は法廷で真実を語るか
 最近は、現職の警察官や警察OBが証言台に立つことが目立つようになった。
警察の訴訟対策の目的は組織防衛だから、彼らは警察組織にとってマイナスとなる証言はしない。
証人出廷が決まると、監察課等が中心となって入念な事前のリハーサルが行われる。
 被告警察側の主尋問にはスラスラ答えるが、反対尋問では肝心な点になるとは答えをはぐらかし、記憶にないを連発する。
決められたシナリオに従った固い仮面の証言、エピソードは語られることはない。
彼らが置かれた苦しい立場が見え隠れする。警察組織の方針に反する証言をしたときは、様々な不利益を覚悟しなければならないからだ。
 熊本県警機動隊剣道特錬部員らによるいじめ自殺事件の国賠訴訟(平成23年2月16日、原告が一部勝訴、現在控訴審)では、現職警察官13人が証言台に立った。
しかし、自殺した機動隊員山田真徳君が生前にいじめを受けていたと証言したのは、真徳君と交際していた女性警察官だけであった。
被告県警の「真徳に対する暴行やしごき、いじめ等は存在を認められなかった」という県警の調査結果と異なる証言をした警察官はいなかった。
  国賠訴訟ではないが、北海道警察では銃器対策課の違法なおとり捜査事件の公判で警察官が偽証した事実が明らかになっている。
この偽証は、組織的に行われたものだ。
  警察官や警察OBは、宣誓して証言台に立っても、決して組織の方針に反する証言はしない。
(5)違法行為と死亡の因果関係
素人考えだが、原告原田さんが提起した国賠訴訟でも、新宿署の警察官の違法捜査と信助君の死亡との間に因果関係があるかどうかが争われるのではないかと思う。
警視庁の怠慢捜査で小出亜希子さんが殺害された事件の国賠訴訟(平成23年5月31日、最高裁判所が警視庁の上告を棄却)の判決は、警視庁の違法捜査(するべき捜査を怠った)と殺害の因果関係が認めた画期的な判決だが、過去の判決では、警察官の違法行為は認定しても、死との因果関係を否定する判決が多い。
先の熊本県警機動隊剣道特錬部員らによるいじめ自殺事件の国賠訴訟の判決でも、いじめは認定したものの、警察官のいじめと自殺の因果関係は認めなかった。
同じような判決はほかにもある。
1    元交際相手の男にストーカー行為を繰り返された上、殺害された「太子町ストーカー殺人事件」国賠訴訟で、平成19年8月、最高裁が遺族側の上告を棄却し、兵庫県警の捜査怠慢を認めて660万円の賠償を命じたが、死亡との因果関係を否定した1・2審判決が確定した。
2     女子大生からストーカー被害の相談を受けながら埼玉県警が捜査を迅速に行わず、女子大生が殺害された「桶川ストーカー事件」国賠訴訟で、平成18年8月、最高裁で埼玉県警の捜査怠慢と殺人の因果関係を否定、慰謝料550万円の支払いのみを命じた1・2審の判決が確定した。
3    被害者の両親が9回も捜査を要請したのに拘わらず、栃木県警がこれを拒絶し続けた「栃木リンチ殺人事件」の国賠訴訟では、宇都宮地裁は「栃木県警の捜査怠慢と殺害の因果関係」を明確に認める画期的な判決を言い渡したが、東京高裁は死亡との因果関係を否定、被害者の過失相殺を認める判決を言い渡した。平成21年3月 、最高裁は被害者遺族の上告を棄却、捜査の怠慢を認め1,100万円の賠償を命じた。
(6)無罪判決でも国賠法上は違法でない
  被告12人全員が無罪になった志布志事件(鹿児島)、連続婦女暴行で服役した男性に真犯人が現われて無罪になった氷見事件(富山)は、いずれも、警察のでっち上げによる典型的な冤罪事件だ。
この2つの事件は、現在国賠訴訟が行われている。
我々のような素人目には、 いずれも、取調官の違法な取調べで虚偽の自供に追い込んだのだから、当然、国賠訴訟では、すんなりと警察等の違法行為が認定されると思ってしまう。 
ところが、どうやらそうではないらしい。
 例えば、志布志事件の国賠訴訟の 被告国第6準備書面(平成20年11月14日)には、検察官の取調べ行為の違法性判断基準に関して、次のように主張している。
1    勾留中の被疑者の取調べと国賠法上の違法について
刑事事件において無罪判決が確定したというだけでは、直ちに取調べ行為が国賠法
上も違法となるわけではなく、取調べという公権力の行使に当たる検察官が個別の国
民に対して負担する職務上の法的義務に違背する行為をした場合に初めて国賠法1条1
項の適用上違法となると解すべきである(最高裁判所昭和60年11月21日第一小法廷判
決)を前提として、刑事裁判で供述調書の任意性が否定されたからといって、直ちに取
調べが国賠法上違法となるわけではなく、取調べに当たる検察官が職務上の法的義務
に違背したか否かを検討する必要がある。
② 自白を強要する取調べについて
 検察官が、被疑者に対し、熱心に真相を供述するように説得したからといって、直ちに自白を強要したことにはならないし、他の被疑者の供述を示したり、それまでの捜査により判明した事実を示して取調べても、それが直ちに誘導又は押し付けによる取調べとして自白の任意性を欠くことにはならないのであって、そのような取調べが国賠法上違法ということもできない。また、取調べの時間の長短という基準のみによって一律に自白の任意性や国賠法上の違法性の有無が決せられるものでもない。
氷見事件の国賠訴訟でも、被告の国と県警は「捜査には故意・過失はなく、国賠法上の違法はない」と主張している。

こうして、警察相手の国賠訴訟の実態を見てみると、まるで、戦前の大日本帝国憲法 のもとでの国家無答責の法理(官吏 は天皇 に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家 は損害賠償責任を負わないとする法理)が生きているような錯覚にとらわれる。
公権力の行使に当たる警察官が、違法な職務執行を行っても責任を問われない。
こうした実態こそが、冤罪や警察腐敗の根底にあることを忘れてはならない。
そのために、取り返しのつかない二重のダメージを受けるのは、常に弱い立場にある国民である。

 

Get Adobe Reader ダウンロード

当ウェブサイトでは、一部PDFを利用しています。PDFファイルをご覧頂くためには、Adobe Acrobat Readerが必要です。ボタンをクリックし、Acrobat Readerをダウンロードして下さい。