【著者 プロフィール】 原田宏二(はらだ・こうじ)


昭和12年12月18日、札幌市生まれ。昭和32年4月、北海道警察官(巡査)採用。警察庁保安部防犯課出向(警部)、山梨県警、 熊本県警察本部捜査第二課長、道警機動捜査隊長、道警旭川方面旭川中央警察署長(警視正)、道警防犯部長、道警釧路方面本部長(警視長)を経て、平成7年2月退職。 平成16年2月10日、道警の裏金疑惑を記者会見で告発。これをきっかけに全国の県警で裏金疑惑が発覚した。「明るい警察を実現する全国ネットワーク」代表を経て、現在、「市民の目フォーラム北海道」代表として、警察改革に取り組んでいる。
著書に「警察内部部告発者」、「警察VS警察官」(いずれも講談社)、「たたかう警官」(ハルキ文庫)がある。

警察の違法捜査を考える【その1&その2&その3 アーカイブ】
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【連載】警察の違法捜査を考える


その1 痴漢冤罪事件と警察捜査
 
 8月21日、東京都内で「原田信助さんの国賠を支援する会」(会長 岡村遼司早稲田大学教授)主催による「警察の違法捜査を考える」シンポジュームが開かれ、「市民の目フォーラム北海道」代表原田宏二(元北海道警察釧路方面本部長)が講演した。
講演後に行われたパネルディスカッションにおける、パネリストの原告原田尚美さん、ジャーナリストの寺澤有さん、国賠ネット代表の土屋翼さん、司会の大村京佑さんの発言は、既に動画で紹介されているので、そちらをご覧いただきたい。
原田代表の講演のタイトルは「新宿違法捜査事件 こうして真実は隠ぺいされる」だが、講演時間は約1時間だったことから内容をかなり割愛した。 
そこで、準備した原稿を以下の3回に分割して紹介する。
  その1 痴漢冤罪事件と警察捜査
  その2 新宿警察署のまやかし
  その3 警察相手の国賠訴訟の実態
なお、この講演内容は、原田信助さんの国賠訴訟の弁護団の訴訟方針とは全く関係のないことをあらかじめお断りしておく。

1 多くの冤罪事件の陰で痴漢冤罪が

昭和23年、現行の刑事訴訟法が施行されてから、殺人等の重要事件で無罪判決が確定した冤罪事件は数多い。ざっと数えても88件にも及ぶ。
最近の事件では、平成14年の氷見事件、平成15年の志布志事件、平成21年の障害者団体向け割引郵便制度悪用事件(村木事件)がある。
こうしたマスコミで大きく取り上げられた事件の陰には、ひっそりと目立たない冤罪事件もある。いわゆる痴漢冤罪事件もそうだ。
調べてみると、過去3年間でいわゆる痴漢冤罪事件は、1件は「でっち上げ」事件だが、6件を数えた。6件のうち、2件は「被害女性供述が信用できない」、4件は「客観的証拠がない」というのが無罪判決の理由だった。
特に、④の事件では最高裁は「(痴漢事件では)客観証拠が得られにくく、被害者の証言が唯一の証拠である場合も多い。被害者の思い込みなどで犯人とされた場合、有効な防御は容易でない。」として、特に慎重な判断が求められると指摘、初めてこの種事件の審理のあり方を示した。
それらの事件は、以下の通りだ。

① 平成23年7月、千葉市中央区内の強姦事件。最高裁が「客観的な証拠がない」と逆転無罪。
      平成18年12月27日、千葉市内で起きた強姦事件について、客観的証拠はなく、起訴内容の基となるのは被害を訴えた女性の供述だけで、特に慎重に信用性を判断する必要があるとしたうえで、被害女性の供述を全面的に信用できるとした1審、2審判決を覆し無罪を言い渡した。
② 平成21年10月22日、東北海道中標津町の強制わいせつ事件。札幌高裁が「被害女性の供述は信用できない」と逆転無罪。
  
平成20年7月、同町内のアパート住む21歳の女性Aさんが、「電気温水器の修理に来たBさんにわいせつな行為をされた」と中標津署に告訴。警察はBさんを逮捕した。
1審は有罪、2審ではAさんの供述の信用性には疑いを入れる余地があるなどとして無罪を言い渡した。
Bさんは、告訴したAさんの告訴事実における申告が虚偽であることは明白であるとして、虚偽告訴罪の疑いで中標津署に告訴したが、釧路地方検察庁は不起訴処分とした。
Bさんは国賠訴訟を提訴していない。
 
③ 平成21年6月12日、西武新宿線の電車内の強制わいせつ事件。東京高裁が「被告
が犯行を行ったとする証拠がない」と逆転無罪。

平成19年2月、東京西武新宿線の電車内で女子高生(17歳)の下着内に手を入れるなどしたとして強制わいせつの罪に問われたアルバイト男性(23歳)の控訴審で、1審の東京地裁判決を破棄、「被告が犯行を行ったとする証拠がない」として逆転無罪を言い渡した。男性は、逮捕時から一貫して犯行を否認していた。
  事件直後、被害者は背後にいた男性の手をつかんでいるが、判決では電車が満員で被害者も犯行を直接見てはいないことなどから、「女子高生の供述がすべて本当だとしても、被害者が犯人とは別人の手を偶然につかんだ可能性がある」と指摘。被害者による事件当時の状況説明しか証拠がない現状では、男性を犯人とすることはできないと判断した。

④ 平成21年4月、小田急線内の強制わいせつ事件。最高裁が「客観的証拠がない」と逆転無罪。
    
平成18年4月18日、東京都世田谷区内の小田急線を走行中の電車内で被害者の下着に手を入れ、下半身を触ったとして防衛大教授が強制わいせつ罪で逮捕・起訴された。被告は一貫して容疑を否認したが、1、2審は有罪判決を下した。判決で、指から下着の繊維が鑑定で検出されていないなど客観証拠がなく、証拠は女性の証言だけで、被害者は痴漢にあってから一度電車を降りたのに再び同じ車両に乗って被告の隣に立ったこと、痴漢が執拗にやられたのに車内で積極的に避けようとしていないなどと痴漢の供述には疑いがあるとした。

⑤ 平成21年3月26日 JR大阪環状線の電車内の痴漢事件。大阪高裁が「故意と認めるには合理的な疑いが残る」と無罪判決。

平成19年5月、JR大阪環状線の電車内で女子高生2人に痴漢をしたとして大阪府迷惑防止条例違反の罪に問われ、1審・大阪地裁判決で無罪とされた兵庫県芦屋市の男性会社員(32歳)の控訴審判決で、昨年9月の一審判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。
 判決は、女子高生(当時15歳)が尻を触られる被害を受け、別の女子高生(同17歳)の胸に被告の会社員の肘が当たったことを一審と同様に認定。そのうえで、車内は通勤客で混雑し、女子高生の視界には限界があったと指摘し、「犯人と会社員を同一と認め、肘が当たったことも故意と認めるには合理的な疑いが残る」と述べた。

 ⑥ 平成20年2月、大阪の地下鉄・御堂筋線の電車内で、大学生が交際中の女性と共謀し、示談金目当てに痴漢被害をでっち上げた事件。
 
平成20年2月、大阪の地下鉄・御堂筋線の電車内で、女が男性から尻を触られたとする嘘の被害を申告し、目撃者を装った大学生が「男性が尻を触った」と虚偽の証言をした。
男性は、大学生らに天王寺駅の駅長室で警察官に引き渡されたうえ、大阪府迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕されたが、男性は事実無根と犯行を否認した。
警察は3人の供述や証言が食い違うなどしたため、約22時間後、男性を釈放した。
その後、女が同署に『金に困っていた大学性から持ちかけられた。自分の方から男性に体を近付けていった』などと自首してきたことから事件がでっち上げであることがわかった。

⑦ 平成21年5月、三重県熊野市の路上の痴漢事件。名古屋高裁が「犯人とするには立証不十分」と逆転無罪。

平成19年5月、三重県熊野市の路上で女子高生(16歳)の尻を触ったとして同県迷惑防止条例違反罪に問われ、1審熊野簡裁で罰金30万円の判決を受けた同市の男性(23歳)の控訴審判決で、名古屋高裁は無罪を言い渡した。  
判決理由は男性の供述調書の信用性に疑いがあると指摘。犯人とするには立証が不十分とした。男性は同年12月に略式起訴されたが起訴事実を否認して正式裁判を請求した。

ここで、「強制わいせつ」と「痴漢行為」との違いについて説明しておく(以下は、佐藤嘉寅法律事務所ホームページからの引用・要約)。
強制わいせつは、「13歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をしたとき、あるいは13歳の未満の男女に対し、わいせつな行為をしたときに処罰される(6月以上10年以下の懲役)。痴漢行為は、迷惑行為防止条例違反で、「人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著しくしゅう恥させ又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしたときに処罰される(東京都条例では、6月以下の懲役又は50万円以下の罰金)。
 強制わいせつ罪は、親告罪(被害者の告訴がなければ起訴ができない。)で、判例上、犯人の性欲を刺激興奮させ、または満足させるという性的意図の下に行われることを要する、とされている。これに対して、迷惑行為防止条例違反は、「人を著しくしゅう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動」とされ、相当広範な行為が規制対象となっている。従って、女性の下腹部や臀部を着衣の上から触ったりしただけでも迷惑行為防止条例違反が成立することがある。
基本的に、衣服の上から触った場合には、迷惑行為防止条例違反、直接触った場合には、強制わいせつ罪とされている。
具体的には、スカートの中に手を入れてさわれば、強制わいせつ罪となる。
ただ、身体に直接さわった場合といっても、足をさわっただけであれば迷惑行為防止条例違反に止まる場合もある。
また、迷惑行為防止条例違反に止まると思われる場合も、それが執拗に行われた場合には、強制わいせつ罪になり得る。
結局、身体の場所、衣服の内外、行為の長短といった基準を総合して、強制わいせつ罪と迷惑行為防止条例違反とを峻別していることになる。

2 初動捜査の不徹底と曖昧な捜査指揮

 平成21年6月、警察庁は④の最高裁の判決を受けて、警視庁をはじめ全国の警察に、「電車内における痴漢事犯への対応について」を通達。
以下の5項目を留意事項として示した。
 各項目をみても、犯罪を捜査する上で、ごく当然のことであり、目新しいもではない。
問題は、こうした当たり前のことが、現場で実行されているかどうかである。
 信助さんの痴漢容疑事件は、深夜の午後11時過ぎに起きている。通常はこの時間帯の警察署は、昼間の体制とは違う当直体制下にある。この事件は、西口交番から同署の生活安全課に引き継がれている。同課が事件を担当したということは、新宿署が信助君を主として迷惑防止条例違反(痴漢行為)の容疑者とみて捜査していたことを意味している。
もう一つ重要なことがある。
捜査はどんな事件でも、警察署長か警察本部長の指揮の下に進められる。
この事件は、新宿警察署長の指揮事件である。
捜査の経過は「事件指揮簿」という書類にその事件の事件認知から送致までの経緯と結果が具体的に記載されている。
信助さんの痴漢容疑事件も「事件指揮簿」が存在するはずだ。
信助さんの痴漢容疑事件ではどんな捜査が行われたのかは、「事件指揮簿」に記載されているはずだが、これまで明らかになった状況から、この通達の各項目に従って、新宿署の捜査の内容を見てみよう。
1 目撃者の確保
信助君が痴漢行為をしたと証言したのは、被害に遭ったとする被害女性だけである。行動を共にしていたとする友人男性2人も目撃していない。しかも、現場に臨場した西口交番の警察官が積極的に痴漢行為の目撃者探しをした形跡は認められない。事後に目撃者捜しをしたのは、原告の原田尚美さんとその支援者だけである。
 ② 実況見分等証拠保全の徹底
   人的証拠や物的証拠が乏しい事件では、犯行状況を再現する実況見分は重要である。
この事件では、一方の当事者の信助君が死亡しているために、女性グループの証言 
  のみで実況見分が行われることになる。こうした場合、事件の原因、経過等が一方の
  当事者に有利に認定される傾向がある。同じようなことは、死亡交通事故の捜査でし
  ばしば問題となっている。この事件でも同様だ。
 ③ 供述の裏付け捜査の徹底
信助君が残した録音(以下「信助録音」という)では、信助君は痴漢行為について
一貫して否認している。しかも西口交番の警察官は、事件を最初から単なるトラブル、
喧嘩と見ていた節が窺え、女性グループの取調べを一括して行うなど、被害女性らの
供述に矛盾点がないかどうかの視点で捜査が行われていない可能性がある。
  信助録音の内容と被害女性及び同伴男性の供述は著しく相違しているのに拘らず、
 新宿署は女性グループの供述をもって事実関係を特定している。
これは著しく合理性を欠く。
④ 客観的証拠の収集
 新宿署が、信助君の手指から微物採取をした形跡はない。信助君が新宿署で取調べ
を受けていた約3時間半の間に、後に信助君の痴漢行為の認定の拠り所なったとする
防犯ビデオの映像について確認は行われていない。
後に、JR東日本が原告側に提出したビデオ映像は極めて不鮮明で、信助君が痴漢
行為を行ったとされる状況は確認できない。さらに、事件当時の通路は工事中で曲が
りくねったクランク状になっており、防犯カメラの映像が存在するかどうかも疑わし
いなど客観的な証拠はない。
⑤ 留置の要否判断
痴漢事件では、一般人が犯人を逮捕するケースが多い。刑事訴訟法第213条では、
  一般人が現行犯人を逮捕すること(常人逮捕)が認められているが、その場合には、逮
  捕した被疑者を警察官に引き渡すことになる。受け取った警察官が被疑者を留置する
  かどうかを判断することになる。
 信助録音によると、取調べの警察官が信助君に何度も「男性が貴方を組み伏せた」などと説明、警視庁の「110番情報メモ」には、当事者甲(信助君)が痴漢をしたとして、当事者乙(被害女性)が丙、丁(友人男性)に依頼し甲を取り押さえたが」との記載がある。これらは明らかに常人逮捕があったことを示すものである。これが事実とすると被害女性グループの供述とは明らかに矛盾する。ところが、この経過は一切明らかにされていないのは極めて不自然である。
   
この警察庁の通達は、痴漢事犯の適正捜査を指示したものだが、既に指摘した通り新
 宿署の初動捜査が必ずしも徹底していたとはいえず、捜査指揮も、よく言えば慎重、悪
く言えば、中途半端で曖昧なまま終わっていることが窺える。
   例えば、さきに掲げた大阪で起きた⑥の事例のようなケースもある。この事件では常人逮捕に関する適正な指揮が行われなかったのではないか。さらに、供述拒否権を告げない約3時間半にわたる信助君の取調べは任意捜査の限界を超えているのではないか。「110番情報メモ」に「痴漢被疑者の服装と信助君の服装が別であることが判明」、「事件を相互暴行事件として後日、地域課呼び出しとした」とあるように、痴漢事件の捜査を打ち切り、暴行事件については地域課が継続捜査することになっている。
しかし、信助君に午前3時36分に、暴行事件で呼び出しがあれば出頭する旨の「確約
書」を書かせた際、信助君に痴漢容疑が晴れたことを説明した事実はない(信助録音)。
この事実は重大である。説明がなされていれば、信助君が自らの命を絶つという事態
は防げたかも知れないからだ。
  このように、警察庁の通達項目に従って、新宿署の捜査をざっと見ただけでも、様々な疑問がわく。さらなる検証が必要だ。

次回は、その2 新宿警察署のまやかし

 

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